聖製作所の歴史は、創業者 新田茂雄が大日本火薬の労務の仕事に関わっていたことから始まります。
その後大日本火薬の関連会社として、港区において軍の砲弾の測定ゲージを生産する仕事を開始。
1942年、空爆により工場を大田区に移転、1943年『聖製作所』を創業。
戦後は、輪転機やトランスの修理などを行う傍ら、逓信省(現NTT)の依頼で治具や研究機の修理を無償で行っていました。
1947年、逓信省の関係者がプラスチック絶縁電線を発見。
逓信省は、日本の電話網を構築するため弊社にプラスチック押出成形機製造を依頼。
研究に研究を重ね、ついに1949年に我が国初のプラスチック押出成形機1号機の開発に至りました。
聖製作所の歴史は、創業者 新田茂雄が大日本火薬の労務課長を拝命し、人事統制の仕事に関わっていたことから始まります。
豪傑な柔道家であり、ばらばらであった組織体制を武道により統制を図る強さと、仲間ひとりひとりに気遣いを施せる優しさを併せ持つ人物でした。
現在は二代目 新田豊が引継ぎ、50余年の間、会社を支えて参りました。
1930年代、日本は戦時中にありました。
当時は、軍の砲弾のスケールがまちまちであったため、大砲や銃が暴発する事故が多発。
そこで、1937年に大日本火薬の関連会社として港区三田に工場を設置し、砲弾を測定する精密な限界ゲージを生産する仕事を始めました。
ゲージは三つ穴で、中央の穴は寸分の狂いもなく、左右の穴は大小5ミクロンの寸法公差のものを制作していました。
1942年、三田工場が空爆で全焼、軍の仕事を継続するために工場を大田区池上に購入しました。
池上という地は日蓮聖人の最後の地(聖地)であり、当時小説「高野聖」の流行もあったことから、『聖製作所』と命名し創業。
第二次世界大戦後は、大日本印刷・読売新聞社の輪転機の修理や焼け落ちた電柱のトランスの修理などを行う傍ら、逓信省(現NTT)の依頼で治具や研究機の修理を無償で行っていました。
1947年、逓信省の関係者が 戦争中に墜落した米軍の飛行機で日本には無い電線を発見。
それを米軍に持ち込んだところ、プラスチックという物質によって絶縁する電線だという事が判明したのです。
当時の電線は、合成ゴムの下に紙や木綿を導体に巻付けて被覆していたため生産量は限られていました。
逓信省は、プラスチックの電線被覆機械があれば日本の電話網が十分完成できると判断し、弊社にプラスチック押出成形機製造の依頼がありました。
1947年、政府からの仕事を頂く為、弊社は株式会社に改組。
1949年、我が国初のプラスチック押出成形機1号機の開発。
国産PVC押出機第一号を開発
国産ナイロン押出機第一号機を開発
フッ素樹脂FEP、PFA用、ETFE用の第一号機を開発
電線会社と協力し電線被覆装置の高性能・自動化を実現
八王子工場を開場
本社を八王子に移転
電電公社通信研究所と光ファイバーケーブル用製造装置を開発
新田豊が社長に就任
PFA、FEP仕様のφ20mmマイクロ自動ケーブル用押出ラインを開発
高速自動帯巻装置(デュアルステージ)を開発
高速伝送用Winaxケーブル用テーピング装置を開発
高速伝送ブレードケーブル用 極細線ワインダーを開発
カテーテル用チューブ押出機を開発
メディカルチューブ用極細ブレード用極細インサイダーを開発
光ドロップケーブル高速押出ラインを販売
内視鏡2層被覆押出ラインを開発(グラデーションシステム)
半導体製造装置用大口径・フッ素チューブ押出ラインを開発(Max φ55mm)
留置針チューブ用押出ラインを開発(3層、2色)
高速光ファイバー被覆装置(1000m/分)を開発
タイヤコード被覆押出ラインを開発
ガイドワイヤー製造装置を開発
バルーンカテーテル用膨張チューブ押出装置を開発
3層メディカルチューブ押出装置を開発
高精度チューブ製造用樹脂圧力制御システムを開発
極細被覆押出ライン(~AWG#48)を開発
チューブ電子線照射搬送ラインを開発
ロボットケーブル被覆押出ラインを開発
医療向け設備を連続的に開発
(被膜成形によるメディカルチューブ製造ライン及びガイドワイヤー製造ライン等)
モノフィラメントUV着色装置を開発
2層PVCメディカルチューブラインを開発
EVモーター平角線被覆押出ラインを開発